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大阪地方裁判所 昭和60年(ヨ)4244号 決定

申請人

吉田妙子

井上孝子

右申請人両名訴訟代理人弁護士

平山正和

蒲田豊彦

野村克則

被申請人

株式会社ニシムラ

右代表者代表取締役

西村隆吉

右被申請人訴訟代理人弁護士

竹林節治

畑守人

中川克己

福島正

主文

一  申請人らが、被申請人の従業員の地位にあることを仮に定める。

二  被申請人は、申請人吉田妙子に対し、金九〇万円及び昭和六一年一〇月以降本案訴訟の第一審判決言渡に至るまで、毎月二五日限り、一か月金一四万円の割合による金員を仮に支払え。

三  被申請人は、申請人井上孝子に対し、金五〇万円及び昭和六一年一〇月以降本案訴訟の第一審判決言渡に至るまで、毎月二五日限り、一か月金一二万五〇〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

四  申請人らのその余の申請はいずれも却下する。

五  申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  申請人ら

1  被申請人は、申請人両名を被申請人の従業員として仮に取り扱え。

2  被申請人は、申請人吉田に対し、昭和六〇年九月より毎月二五日限り金一七万〇五〇三円を仮に支払え。

3  被申請人は、申請人井上に対し、昭和六〇年九月より毎月二五日限り金一五万〇〇二五円を仮に支払え。

二  被申請人

1  申請人らの本件申請をいずれも却下する。

2  申請費用は申請人らの負担とする。

第二  当事者の主張の要旨

一  申請人ら

1  被申請人(以下、会社という。)は、肩書地に本社を有し、大阪市内の梅田地域、難波地域、天王寺地域にまたがる繁華街に一ケ所の事務所と八ケ所の店舗を有する婦人服の小売販売を業としている資本金七五〇万円の会社であり、従業員は約六〇名である。

2  申請人吉田は、昭和五五年九月に、申請人井上は、同五九年五月にそれぞれ会社に雇用され、いずれも前記事務所(南区宗右エ門町所在)において、庶務、経理、その他会社の殆どの事務の業務に従事してきた。

3  申請人両名は、昭和六〇年八月二二日、会社に対し、自己都合による退職届を提出した。

4  しかし、右退職の意思表示は以下の理由で無効である。

(一) 申請人らが右退職届を提出するに至つた経緯は、次のとおりである。すなわち、会社は、昭和六〇年八月二二日、突然申請人らを個別に呼びつけたうえ、申請人らが会社の経費でトコロ天やヨーグルトを買つて飲食したことなどを取り上げ、そのことが横領罪や私文書偽造罪を構成するから、直ちに任意退職届を提出しなければ警察に告訴するうえ、懲戒解雇処分にする旨を告げて会社幹部五人でこもごも強迫し、さらに、申請人らに示すことなく他に多くの証拠を握つているかのような素振りを示して欺罔した。

申請人らは、会社の右各行為によつて強迫され、もしくは欺罔されて退職の意思表示をなしたものであるところ、右意思表示は申請人らによつて翌日口頭で取消され、同月二四日付内容証明郵便においてその旨通知がなされた。

(二) 申請人らは、会社の主張する不正行為なるものが実際には懲戒解雇理由にも刑事告訴理由にもならないにもかかわらず、会社幹部らの主張にまどわされ、場合によつてはそういうことになりうるかもわからないと動揺し、勘違いをして本件退職の意思表示をなしたものであり、右は要素の錯誤であり、無効である。

(三) 申請人らに対する退職の強要は、申請人らの組合活動を嫌悪し、組合を潰す目的のもとに行われたものであり、申請人らの退職の意思表示は、不当労働行為としての退職強要と不可分一体のもので事実上の懲戒解雇であるから無効とすべきであり、あるいは公序良俗に違反して無効というべきである。

(四) 申請人らの所属する全商業労働組合ニシムラ分会と会社との間に締結された労働協約には、懲戒解雇もしくは会社都合による解雇の場合は組合と事前に協議する旨の条項があるところ、申請人らの退職は懲戒解雇もしくは会社都合による解雇に準ずるものであるから、労働協約に違反する無効なものである。

5  申請人らは会社から毎月二五日に給与の支払いを受けてきたところ、会社は右退職届提出の翌日以降申請人らが退職したと称して申請人らの就労を拒否し、賃金の支払をしない。

申請人らの右退職届提出前の昭和六〇年六月から八月までの三ケ月間の平均賃金は、申請人吉田が金一七万〇五〇三円、同井上が金一五万〇〇二五円である。

6  申請人らは、いずれも賃金を唯一の生活の糧とする労働者であるところ、申請人らは現在会社から支給されてきた毎月の給料を受けられず、その家族を抱えて大変困難な状況を強いられており、従業員としての地位を一方的に奪われて不安定な状態にある。

そこで、申請人らは会社に対し、従業員たる地位の確認訴訟を提起すべく準備中であるが、本案判決を待つていたのでは申請人らの生活は著しい危殆に瀕することが必至であるから、本件仮処分申請に及んだ。

二  被申請人

1  申請人らの本件退職の意思表示は、いずれも自発的になされたものであつて有効であるから、申請人らの主張は理由がない。すなわち、申請人らは会社の経費で私物を購入するという違法行為を長期間にわたつて継続していたもので、会社から事情聴取された際、その一部を指摘され、直ちに非を認めて退職届を提出したものである。

2  本件は会社において右違法行為を理由に懲戒処分を行つたものではないが、申請人らが自ら行い、もしくは関与した違法行為の内容は次のとおりである。

(一) 申請人らは、昭和五九年一〇月八日から同六〇年五月八日までの間に、七回にわたり会社の経費で別紙保管金不正使用一覧表(一)記載のとおりの私物を購入していた。

(二) 申請人吉田は、昭和五七年三月三日から同五九年九月七日までの間に、調査により判明したものだけでも合計七九回にわたり会社の経費で別紙保管金不正使用一覧表(二)、(三)記載のとおりの私物を購入し、あるいは少なくともこれに関与し、申請人井上は、昭和五九年五月一四日から同年九月七日までの間に、右同様に合計一一回にわたり同目録(三)記載のとおりの私物を購入し、あるいは少なくともこれに関与した。

(三) 会社事務所では収入印紙を購入して保管し、毎月集金に来る仕入業者に必要に応じて売渡していたところ、申請人らは、左記一覧表記載のとおり仕入業者に収入印紙を売渡しながら、その代金を会社に入金しないで着服し、あるいはこれに関与した。

3  申請人らの主張する昭和六〇年六月ないし八月の平均賃金額の算出方法には誤りがある。すなわち、昭和六〇年の賃上げ協定の締結が同年七月一五日になつたため、同年四月ないし六月の間の賃上げ分を七月分給与とあわせて支給しているから、右遡及支払分(申請人井上については一万〇九七七円、同吉田については一万四一一二円)のうち四、五月の賃上げ分については六月ないし八月の平均賃金算出の際には除外すべきである。

第三  当裁判所の判断

一  第二当事者の主張の要旨一1ないし3の各事実は、当事者間に争いがない。

二  当事者間に争いのない事実及び本件疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

1  会社の概要等

会社は、昭和三七年に先代西村佐一の個人経営による西村婦人服店として発足し(現心斎橋南店)、昭和四六年に法人化して「株式会社ニシムラ」と社名変更

年月日

仕入業者名

金額

(1)

昭和五九年三月五日

モード・サモア

二〇〇円

(2)

同年四月五日

同右

二〇〇円

(3)

同年九月五日

株式会社千種

四〇〇円

(4)

同年一〇月五日

モード・サモア

二〇〇円

(5)

同日

モード・ジュリア

二〇〇円

し、その間次第に店舗を増設して現在八店舗を擁しており、同社の事務については、昭和四五年ころ南区宗右エ門町筋のビル内に事務所を設けて行つていた。

昭和五八年五月ころ、先代の子西村隆吉、同保廣が共に代表取締役に就任し、先代社長没後の同年一一月から隆吉が社長、保廣は従前どうり専務と称して各店舗を互いに分担して経営に携つていた(以後、隆吉を社長、保廣を専務という。)。

2  申請人らの入社

会社は、各店舗で婦人服の販売業務を行い、事務所でこれを一括して経理処理し、事務所には概ね事務員三人が置かれていたところ、申請人吉田は、事務員一名が退職したため、これと入替りに昭和五五年九月二九日に入社したが、当時、事務所には富永幸子(昭和四七年入社、同五九年四月二五日退社)、稲田富美子(昭和五五年二月入社、同五九年一〇月退社)が勤務しており、年長で経験の多い富永が事実上日常業務を統括していた。申請人井上は、富永の退職に伴い、昭和五九年五月一四日に入社した。

3  事務所の状況

会社では、社長は心斎橋北店、専務は同南店に常駐し、事務所には必要に応じて赴き、経理事務に関する一般的指示は主に専務が行つていたものの、日常業務については従来から事務員に一任しており、管理職も置かれていなかつた。また、事務所経費についても、細かい運用については事務員に任されており、専務が事務所を訪れる際も、銀行残高表などの重要な書類、帳簿については確認するものの、事務所の現金出納帳については現金残高を極く希に確認することがある程度で、事務所における経費の支出額が異常なものでない限り特にこれをチェックすることもなく、事務所経費に当てるための小口の現金を事務所ロッカー内の紙箱に入れ、不足すると専務が小切手を切つて事務員に渡し、事務員がこれを現金化して右紙箱に入れておき、必要に応じて使用しては現金出納帳に記帳していた。なお、右記帳は後に一括してなされることもあつた。

4  事務所における飲食に関する実状

事務所では、以前から事務所経費でお茶やインスタントコーヒー等を買い置き、来客にふるまうのはもとより、従業員が一服時にこれを飲むほか、時におやつを買つて食するといつたことが長年行われていたが、会社が特にこれを許可したことはなかつた反面、従前このことが問題とされたこともなかつた。

5  組合の結成

会社には従来労働組合は存在せず、従業員の間に労働条件に対する不満が高まつていたが、会社従業員は一事務所、八店舗に分散していて店舗間での交流の機会は殆どなかつたため、店舗従業員と連絡を取り易い立場にある申請人らを中心として労働組合結成に向かい、昭和五九年八月二五日四〇名の組合員が加入してニシムラ労働組合を結成するとともに、上部団体として泉州地方労働組合連合会(泉州労連と略称する。)に加盟し、申請人吉田が執行委員長に、同井上は会計に就任した。(その後、ニシムラ労組は、申請人らを中心として運動の強化を図る目的で泉州労連を脱退し、昭和六〇年二月五日統一労組懇傘下の全日本商業労働組合大阪府支部ニシムラ分会に脱皮、発展し、申請人吉田は分会長に、同井上は書記次長にそれぞれ就任した。)

6  松田課長の入社

昭和五九年一〇月五日、会社が新たに採用した松田経理課長(以下、課長という。)が事務所に配置され、以来、課長が事務所の現金管理を行うようになつた。そして経費が必要になるたびに申請人らが買物の予定をメモに書いて予め提出し、課長から現金を受け取つて使用することになり、ほどなく現金出納帳への記帳も課長が行うようになつた。そして、課長は、かつてスーパーマーケットで稼動していた経験を生かし、会社に保管されていたレシート等と照合しながら、過去の記帳について点検、調査を開始するとともに、申請人ら両名に対して、何を買つてきたかを報告させ、さらには領収書に購入品目、数量、単価を記入させたうえでこれを点検するようになつた。

ところで、事務所に課長が配置された昭和六〇年一〇月上旬ころ、申請人らは、出社してまず事務所の清掃をした後、買い置いてあるインスタントコーヒーを飲んでから仕事に就くことが習慣になつていたため、課長にもコーヒーを出したところ、課長はこれを見咎め、専務の指示を仰いだ後、申請人らに今後はコーヒーなどは買わなくても良い旨を述べた。

7  申請人らと松田課長との対立

申請人らは、ニシムラ労組結成以来、それまで比較的自由に行われていた店舗従業員との接触、連絡が困難となり、あるいは店長らから組合員に対して反組合的言動があつたことなどから、昭和五九年一〇月九日付で大阪地方労働委員会に不当労働行為救済申立をしていた(昭和六〇年一月二九日会社は不当労働行為を行つたとの疑義を生ぜしめたことに対して遺憾の意を表明し、和解協定書が調印された。なお、昭和六〇年一月末には早くも組合員数は二五名に減少していた。)が、従来上司の置かれていなかつた事務所に課長が配置され、これまで自由に行つていた事務所経費での買物も制限されたり、些細なことで叱責されたりしたため、これらを申請人らが組合の中心的な存在であるがゆえの嫌がらせと強く感じるとともに、事務所内での従来の慣行を守ろうとの思いを抱くに至つた。

8  松田課長の調査

(一) 別紙保管金不正使用一覧表(一)記載のものについて

(1) 件名1

課長は、昭和五九年一〇月一〇日過ぎごろ、同月八日付レシートに申請人井上の字でクリープ二個の記載がされており、同一用途の物が複数購入されていることに不審を抱いたが、数日後事務所備付の冷蔵庫内にクレマトップ(液体状クリープ)を見つけ、申請人吉田に対し、私物なら整理するように告げたところ、翌日冷蔵庫から無くなつていた。翌昭和六〇年一月一四日、課長は購入先のスーパーマーケット「オスカル」を訪れて調査したところ、右レシート記載の六〇〇円のクリープは粉末状の物であり、二八〇円の物がクレマトップであることが判明したので、クレマトップ一個を購入してそのレシートを証拠品として保管しておいた。

(2) 同2

課長は、申請人井上に対し、昭和五九年一二月九日付領収証に購入物件の品名及び個数を記載させたが、同申請人が記載したトイレットペーパー四個入り三包みでは代金一五八〇円が割り切れないことに不審を抱き、当時事務所の水屋の中にクリープ(クリープクリスティ)が入つていたのを目撃していたことから、翌昭和六〇年一月一四日、購入先の「オスカル」に調査に赴き(前記(一)と同一機会)、右と同一のトイレットペーパー、クリープの値段を確認したところ、トイレットペーパー以外に代金五三〇円の右クリープを購入していたことが判明したので、クリープクリスティ及びトイレットペーパー各一個を購入してそのレシートを証拠品として保管しておいた。

(3) 同3

課長は、申請人井上に対し、昭和六〇年一月一六日付領収証に前同様の記載をさせ、同月一八日、購入先の「オスカル」に調査に赴き、同店に保存されていたレジスターの記録紙を見せてもらつて同申請人の記載と対照したところ、右記載分以外に牛乳二本(代金一四〇円、但し五円おまけ)が購入されていることが判明したので、右記録紙をコピーしてもらつたうえ、単価の証明書をもらつて証拠品として保管しておいた。

(4) 同4

課長は、同年二月一九日申請人両名をスーパーマーケット「ハウディ西武」に買物に行かせ、申請人井上に対し、領収証に前同様の記載をさせたうえ、購入先に調査に赴き、領収証控及びレシートを見せてもらつて同申請人の記載と対照したところ、右記載分以外に無印インスタントコーヒー(代金六九八円)及び品名不明の物三個(代金三二〇円、一七〇円、一〇〇円)が購入されていることが判明したので、右レシートに品名を記入してもらつたうえ、領収書控とともにコピーしてもらい、証拠品として保管しておいた。なお、当時右インスタントコーヒーが事務所に置いてあつたので写真撮影しておいた。

(5) 同5

課長は、同年三月一五日申請人吉田を文具店「たかぎ」に買物に行かせ、同申請人に対し領収証に前同様の記載をさせたうえ、購入先に調査に赴き、レジスターの記録紙を見せてもらつて同申請人の記載と対照したところ、右記載分以外に品名不明の物一個(代金五〇〇円)が購入されていることが判明したので、右記録紙をコピーしてもらい、証拠品として保管しておいた。

(6) 同6

課長は、同年四月一五日申請人井上に対し、同日付のスーパーマーケット「ストアーヤスダ」の領収証に前同様の記載をさせたが、申請人らの帰宅後事務所備付の冷蔵庫を見るとヨーグルト二個が入つていた。そこで翌日購入先に赴いて調査したところ、右記載分以外に右ヨーグルト(代金合計二〇〇円)が購入されていることが判明したので、領収証記載の物品及びヨーグルト二個を購入して領収証及びレシートをもらい、証拠品として保管しておいた。

(7) 同7

課長は、同年五月八日申請人両名にスーパーマーケット「A&P」に買物に行かせたところ、申請人吉田が、同井上の字で品名、個数の記載された領収証を提出した。当時申請人吉田がところ天の容器を捨てるところを目撃したので購入先に赴いて調査したところ、領収証に記載した物品以外に右ところ天(代金一三八円)が購入されていたことが判明したので、レシートのコピー等をもらい、ところ天の容器とともに証拠品として保管しておいた。

(二) 別紙保管金不正使用一覧表(二)、(三)記載のものについて

課長は、現金出納帳の引き継ぎを受けた後、過去の記帳についても不審を抱き、保存してあつたレシートと対照することとし、昭和五九年一〇月後半ころから購入先である「ストアーヤスダ」、「オスカル」、「ハウディ西武」に赴いてレシートの部類番号別の分類表を作成してもらい、右分類表によつて購入品を推定したうえ、現金出納帳の記載との食い違いの存するもの、あるいは推定される購入品から会社が購入を認めていないであろうと思われるものについて、昭和五七年三月まで遡つて調査し、別紙保管金不正使用一覧表(二)、(三)のとおり、これを抽出した。

9  収入印紙代金の件について

事務所においては、収入印紙を購入して保管し、毎月集金に来る仕入業者が必要な印紙を持ち合わせていなかつた場合にこれを販売し、右販売代金については印紙代戻りと付記して現金出納帳に記載されていた。課長は、現金出納帳の調査を続けるうち、右記帳が集金日の関係で毎月五日の日付に多いことに気付いたが、昭和五九年三月以降右記帳がほとんどないことに疑問を抱き、会社に保存されていた業者からの領収証を調査し、貼付の印紙を確認したうえ、昭和六〇年四月ころ各仕入業者方へ赴き、当時の収入印紙が会社事務所で購入したか否かを問い合わせたところ、会社主張の四件合計金一二〇〇円の印紙が販売されていたにもかかわらず、現金出納帳に記載されていなかつたことが判明したので、右業者からそれぞれ右印紙を事務所で購入した旨の証明書を作成してもらい、証拠品として保管しておいた。

10  松田課長の報告と会社の対応

課長は、昭和六〇年七月ころ、前記のようにして収集した資料を専務に示してその調査結果を報告し、さらに安田シティ店店長の協力のもとに右資料を整理し、同年八月上旬ころ社長、専務ら会社幹部らは役員会を開いたうえ、申請人両名には会社を退職してもらわざるを得ないという結論に達した。

11  退職届提出の状況

昭和六〇年八月二二日午前一〇時三〇分ころ、全商業労組大阪府支部山田委員長が夏季一時金の処理問題について専務と協議するため会社の心斎橋南店を訪れたところ、会社側からは専務のほか社長、課長、河村取締役の四人が待つており、約三〇分間の協議を終えて立ち去ろうとした際、労務担当の河村から「実は困つたことが起きた。」と話を持ちかけられ、そこへ安田シティ店店長が資料を綴じたファイルを持つて入室してきた。右会社幹部らは、同委員長に対し、「これだけ見てもらえれば十分だ。」などと言いながら、ファイルの中から一部の資料(写真、領収書、値段票、レシートなど数点)を抜き出してテーブルの上に広げ、こもごも、「領収書に品名、数量、単価を書かせて申請人らに報告させたものを調べたところ、報告されていない品物が買われていることが分かつた。スーパーに行つてレシートを調べると、トコロ天、はさみ、セロテープなど領収書の報告と食い違いがある。ドッグフードなども買われている。二人は癖になつている。店に行くたびにこうだ。金は任せられない。こんなに信用のおけないことでは困る。これは横領だ。」などの趣旨のことを述べたうえ、同委員長が調査の時期、件数、事前に注意を与えたか否かなどについて尋ねると、「一〇月ころから調べた。九十数件で一〇万余円になる。領収書、レシートはないのかと注意を喚起した。これで十分だ。」などと答えた。同委員長がさらに、「組合としても調査をしたいから時間を貸してくれ。」と申し向けたところ、会社幹部らは、「実は本人達を待たせている。一〇〇円でも横領だ。告訴されても仕方がない。全部準備もできている。」などの趣旨のことを述べ、課長は事務所に架電し、申請人井上に南店まで来るように命じた。

同申請人は用件も告げられずに呼び出されたため、何事かといぶかりながら南店に赴いたところ、室内に会社幹部ら五名と対峙する形で山田委員長が沈痛な面持ちで坐つていた。会社幹部らは同申請人に対し、こもごも、「領収書に書いている内容が違つている。調べたらトコロ天だ。ゴミ箱からトコロ天の容器が出てきた。ヨーグルトも買つている。証拠は揃つている。金額の多少にかかわらず横領であることに変りはない。」などの趣旨のことを言つて追及したところ、同申請人は、「そのような出費は富永の時代からの慣行で会社も認めていたはずだ。」と答えたが、会社幹部らはさらに、「これは横領だ。責任をとれ。告訴や懲戒解雇ということになれば、困るだろう。任意に退職するなら、次の就職先からの問い合わせや社員達に対しても、家庭の事情で辞めたことにしてやる。ここにある証拠写真などもないものにしてやつてもよい。将来のある身だし、近所や近くの交番に知られたら困るだろう。老いた父母に心配をかけたくないだろう。」などの趣旨のことを述べた。同申請人は、「しばらく猶予が欲しい。」旨頼んだが、同幹部らは、「そんなことを言える立場ではない。」などと言つてこれを拒否し、さらに、同申請人が「事務所に帰らないと印鑑がない。」と言うと、「拇印でよい。」と言つて退職届の提出を促したため、同申請人は、やむなくその場で退職届用紙に「一身上の都合」と記入したうえ、これに署名、指印し、社長が直ちに同用紙に押印してこれを受理した。

申請人井上が退職届を提出するや、課長は再び事務所に架電し、申請人吉田に南店まで来るように命じた。同申請人が南店に赴き、室内に入ろうとした際、退去する申請人井上とすれ違い、同申請人から、「今日で退職です。」と言われた。申請人吉田が室内に入ると、会社幹部らは机上に置かれた前記資料を示しながら、「申請人らが購入した品物を調べたら領収書に記入してある明細と金額が異なつている。セロハンテープとはさみの値段が違つている。トコロ天も買つている。金額の如何にかかわらず横領になるし、私文書偽造罪にもなる。申請人らに経理は任せられない。告訴、懲戒解雇されても仕方がないところだが、できるだけ穏便にしようと考えている。自己退職なら退職金も出るし、他の職場から問い合わせがあつても一身上の都合で辞めたと言える。ここに出席している者しか知らないことだし、決して他言しないから自己退職するのがあなたのためである。」などの趣旨のことを矢継ぎ早に申し向けた。同申請人が時間をくれるよう頼んだところ、同幹部らは、「そういうことを言うなら告訴するしかない。準備はできている。告訴となるとあなたの将来や子供の就職にも影響するだろう。会社としてはそんなことはしたくない。申請人井上も素直に認めて退職届を書いたのだから、あなたも書いた方が得だ。」などの趣旨のことを言つたため、同申請人は、申請人井上と同様に、やむなくその場で退職届用紙に「一身上の都合」と記入したうえ、署名、指印して提出し、社長が直ちにこれを受理した。

12  退職届提出後の状況

申請人両名は、退職届提出後、直ちに事務所に置いてある申請人らの荷物を持ち帰るよう指示され、会社幹部らに付き添われて整理していたが、次第に落ち着きを取り戻すとともに、会社のやり方が一方的なものであると感じ、これに納得できず、同日夜、統一労組懇関係者や弁護士と相談のうえ、退職届を撤回する意思を固め、翌二三日午後電話で退職金は受け取れない旨を通告し、翌二四日、同日付で内容証明郵便によつて退職届が無効である旨を通告した。

三  右認定事実によれば、申請人らは、昭和六〇年八月二二日会社に対して退職申込みの意思表示をし、会社がこれを承諾して、右同日申請人らの雇用契約はいずれも合意解約されたものというべきであるが、申請人らは、右各退職の意思表示は会社幹部らの強迫もしくは詐欺に基くものである旨主張するので、この点について検討する。

ところで、労働者に何らかの不正行為があり、それによつて使用者が被害を被つたような場合に、使用者が右を理由に労働者を懲戒解雇に処し、あるいは刑事上の告訴をなすことは、それらが濫用にわたらない限り、正当な権利行使として許されることは論を俟たないが、使用者の右懲戒権の行使や告訴自体が権利の濫用と評すべき場合に、懲戒解雇処分や告訴のあり得べきことを告知し、そうなつた場合の不利益を説いて同人から退職届を提出させることは、労働者を畏怖させるに足りる強迫行為というべきであり、これによつてなした労働者の退職の意思表示は瑕疵あるものとして取り消し得るものというべきであるところ、前認定の事実に照らすと、会社が申請人らに対して告訴もしくは懲戒解雇のありうべきことを告知したというべきである(もつとも会社提出の疎明資料には前認定の事実に反するものも存するが、これらによつても、少なくとも申請人らが会社から告訴され、あるいは懲戒解雇されるかもしれないと考えるに足りる事実を示唆しており、これをもつて右告知があつたというに十分である。)から、会社の主張する申請人らの不正行為が懲戒解雇や刑事上の告訴に相当するものであるか否かにつき、前認定の事実に基づいてさらに検討を加える。

まず、別紙保管金不正使用一覧表(二)、(三)に関しては、私物を購入したとして掲げる金額は一か月平均二〇〇〇円程度であるところ、同表の「購入した私物の品目」欄記載の製品名は、レシートの部類番号から該当すると思われる品目の部類を書き出したものに過ぎず、このうちのいかなる物をいかなる目的で購入したかについては全く不明であつて、現金出納帳の記載との間に食い違いがあるとしても、右記載が必ずしもその都度なされていたものではなく、記載欄も狭いことをも考え合わせると、右の一事をもつてこれらを全て私用目的で購入したと断ずることは到底できない。もつとも右部類品目からは社内での業務はもとより、厚生面でも必要とは考え難いような物も存するが、右品目の記載自体の正確性にも若干の疑問も存するうえ、当時事務所には申請人ら以外の事務員も存し、行為者の特定はなされておらず、このような物については、全員の共同購入とは考え難いから申請人らが購入に関与したとも断じ得ないし、後述のように事務所内での規律の弛緩と評すべき物が含まれているとしても、横領をもつて論ずるのは相当でない。

次に、別紙保管金不正使用一覧表(一)に関しては、その金額は合計三〇〇〇円程度であり、そのうち件名1については申請人ら以外にも一名の事務員が在籍中のものであるところ、件名5の文具については、領収証に記載漏れがあつた一事をもつて私用目的と断ずることはできないし、件名1、2、4のインスタントコーヒー、クリープ類については、従前から事務所に常備し、来客や会社幹部らにも供していたものであり、課長から購入の必要がない旨言われた(但し、件名1についてはそれ以前の購入である。)後のものについても、前認定の経緯に照らして俄かに従い得なかつた申請人らの心情にも理解し得るものがある。また、件名3、6、7(牛乳、ヨーグルト、トコロ天、合計金額四七三円)については、従前から事務所でこうした物が飲食されていたとしても、会社の明示もしくは黙示の承認がない以上慣行として当然に許容される性質のものではないが、その金額も僅少であり、事務所内での規律の弛緩と評し得るとしても、横領をもつて論ずる性質のものとは到底いい難い。しかも、課長は、昭和六〇年一月一四日の時点で、件名1、2については申請人らの提出した領収証の記載が食い違つており、既にその証拠も集めていながら、申請人らに対しては何らの注意を与えることなく、その後も申請人らの同種の行為を放置し、徒らに証拠の収集にのみ専心していたものであつて、会社が後に申請人らのこれらの行為を把えて解雇に価する行為として、あるいは告訴の対象として取り上げることは信義に反するものと言うべきである。

さらに、会社主張の収入印紙代金の着服の件に関しては、その金額が僅少であることもさることながら、行為者を特定することもできず(件名(一)、(二)については申請人吉田のほか二名の事務員の在職中のことであり、件名(三)、(四)については申請人両名のほか一名の事務員の在職中である。)また、業者への支払業務自体は専務らがなしていて在室中であつたことにも鑑みると、単に現金出納帳への記帳がないことをもつて、申請人らが右金員を着服、横領したとは到底断じ得ず、そもそも事務員から収入印紙を購入した旨の各業者の証明書自体も、それが半年も以前のことに関する記憶に基づくものであることからすると、その正確性に若干の疑問も残るところであるにもかかわらず、これらの件に関しては、本件退職届提出の日も含めて申請人らに対する事情聴取は一切行われていない。

以上に加えて、会社は、その主張する不正行為への関与に大きな隔りのある申請人両名の処遇を一律に考え、あるいは、告訴に関しては申請人ら以外の関与者についても当然問題とされて然るべきであるにもかかわらず、これらの者について告訴を検討した形跡も窺われないことなどにも照らすと、会社が本件で申請人両名を懲戒解雇に処し、あるいは刑事告訴を行うとすれば、濫用のそしりを免れないというべきである。

そうすると、申請人らの本件退職の意思表示は、会社の強迫によつて畏怖した結果なされたもので取り消し得るものというべきところ、右意思表示は、遅くとも昭和六〇年八月二四日に取り消されたものというべきであるから、申請人らのその余の主張について判断するまでもなく、本件各合意解約はいずれも無効である。

四  疎明資料によれば、申請人らは本件退職届提出に至るまで会社から毎月二五日限りそれぞれ給与の支払いを受けていたところ、申請人吉田については、八月分の給与支払明細は不明であるので、昭和六〇年五月ないし七月の手取り平均給与額(但し、七月に支給された遡及支払分のうち四月分を除いたうえで計算)を計算すると一四万二六四二円となり、申請人井上については同年六月ないし八月の手取り平均給与額(但し、七月に支給された遡及支払分のうち四、五月分を除いたうえで計算)を計算すると一二万七五六四円となることが一応認められる。

五  保全の必要性

疎明資料によれば、申請人吉田については、現在内縁の夫と先夫との間の子二人(大学三年生及び浪人中の男児)の四人家族であり、夫の収入(月額二〇万円程度)と会社から支給される給料で生計を維持していたこと、住宅ローンの支払や子供の学費等で生活費はぎりぎりであつたこと、申請人井上については、独身で会社から支給される給料で自己の生計を維持していたばかりか、実家の両親にも仕送りしていたこと、申請人らは本件退職届提出後は、会社に就労を拒否されて賃金の支払いを受けられず、支援団体から借り受け、(申請人吉田については九〇万円、同井上については五〇万円を越えている。)現在まで辛うじて右生計を維持してきたことが一応認められる。

そうすると、申請人らが昭和六〇年九月以降の賃金の仮払いを求める申立のうち、過去の部分については、申請人吉田につき九〇万円、同井上につき五〇万円の限度で仮払いの必要性が認められ、昭和六一年一〇月以降の仮払いを求める部分については、申請人吉田につき一四万円、同井上につき一二万五〇〇〇円の限度で第一審本案判決言渡(その後の賃金については必要性についての疎明がない。)に至るまで仮払いの必要性を認めるのが相当である。

六  よつて、本件申請は、申請人らが被申請人の従業員の地位にあることを仮に定め(申請の趣旨第一項は右趣旨を含むものと認められる。)、前記認定の限度で賃金仮払いを求める限度で理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容し、その余は理由がないから却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用して主文のとおり決定する。         (裁判官田邊直樹)

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